小田原候、先生に桜町領復興を命ずる
こんにちは、たけしです。
二宮尊徳は報徳仕法の創始者です。
二宮尊徳は仕法に必要なことならば、どんな交渉もしました。
特に、桜町領の復興では、時の権力者との交渉をしています。
二宮尊徳が優れた交渉人だったのは報徳記の記述を見るとよくわかります。
そこで、報徳記から二宮尊徳の交渉術を解説していきます。
二宮尊徳の現地調査の徹底さ
二宮尊徳は必ずどの報徳仕法でも、徹底した現地調査をしました。
なぜなら村の復興は土地と人の力で決まるからです。村の収入源は農事で得る作物ですし、その農事をするのは農民だからです。
二宮尊徳の現地調査は徹底したものでした。
桜町領の復興に着手する前の調査状況が報徳記に記されています。
時に文政四年(一八二一)某月、先生(三十五歳)は小田原を出発して遠く下野の国桜町に至り、戸別に巡視してその貧富を見極め、田野に行ってその肥瘠を調査し、人民の勤惰を察し、水利の難易を計り、遠く住古の資料を探り、近く眼前の風俗を観察し、数十日にして風土民情からこの興復ができるかできぬかの原理が、すでに胸中に明了になった。(八月から十二月に至る間に四回往復調査した。)
報徳記「小田原候、先生に桜町領復興を命ずる」より
村の復興ができるかどうか調べるのに4か月かけているのです。
しかも、土地の良否を調べて、農民の状況と風土も自分の目で見て確認したのです。
地道な調査で得た情報をもとに大久保公との交渉に臨んだのです。
二宮尊徳と大久保公の問答交渉
調査が終わったあと、二宮尊徳は大久保公に調査結果の報告に出向きました。
これが交渉の場となったのです。
二宮尊徳は開口一番にこう言いました。
「殿様は私の不才をお察しにならず、宇津家の領邑興復の事業を命ぜられました。その任ではありませんので、固くおことわりしましたが、どうしてもお許しになりません。そこでやむを得ずかの地に参り、土地と民情とを察して再復の事を館得てみましたところ、土地は瘠薄で、人民の無頼怠惰も極度に達しております。けれども、これを振い起すのに仁術をもってし、村民の長年染まった汚俗を革め、力を農事に尽させるときは、再興の道がないわけではありません。」
報徳記「小田原候、先生に桜町領復興を命ずる」より
二宮尊徳は大久保公が望む答えを先に言ったのです。
しかしすぐに難しいものだと釘を刺します。
しかし仁政が行われなければ、たとい年々四千石の租税を免除しても、かの地の貧困は免れることができますまい。
報徳記「小田原候、先生に桜町領復興を命ずる」より
桜町の碌高は四千石なので、無税にしてもそのままなら貧困のままと、二宮尊徳は言うのです。
そして、桜町復興がどういったものかをたとえ話で伝えていきます。
豊かな国は租税は多くとも、人民は収益が多いために反映し劣った国は租税がなくてさえ土地の生産が少いため艱難を免れがないもので、これは土地の厚薄のいたすところであります。
報徳記「小田原候、先生に桜町領復興を命ずる」より
温泉は人力をまたずして年中温かでありますが、風呂は人力をもって焚くからこそ温かなのであり、しばらくでも火を去るときは、たちまち冷水となるのであります。上国は温泉のごとく、下国は風呂のようなものであります。ゆえに仁術を行うときは栄え、仁政がないときは衰えます。
報徳記「小田原候、先生に桜町領復興を命ずる」より
いま野州桜町の衰廃を救い、永く民を安んずる道は、ほかでもなく、厚く仁を施し、その艱苦を除いて安栄に導き、大いに恩沢を布いて無頼の人情を改め、もっぱら土地の尊いゆえんを教えて力を田畑に尽させるにあります。
報徳記「小田原候、先生に桜町領復興を命ずる」より
最後に意外な言葉で報告を締めくくります。
そして、この復興の費用は幾千万両になるか、あらかじめその額を定めることはできませんが、前々殿様はかの土地の再復を命ずるのに多額の財を下付せられました。それゆえに成功しなかったのであります。以後これを興復しようとするには必ず一両もお下しになりませぬよう。」
報徳記「小田原候、先生に桜町領復興を命ずる」より
なんと桜町の再興が失敗した理由は多額の復興支援金だったと言ったのです。
大久保公もこの発言に驚き、こう問いかけます。
「そちの説くところは至道と言える。しかしながら、廃亡を挙げ興すために財を用いてしかもなお起きなかった。いま財なくしてこれを挙げ興す道とは、どういうものか」
報徳記「小田原候、先生に桜町領復興を命ずる」より
二宮尊徳は復興支援金のデメリットをこう伝えたのです。
「殿様が財をお下しになるから、役人、村民ともにこの財に心を奪われ、互に財を手に入れようと願い、下民は役人の私曲を論じ、役人は下民の私曲のみ心配し、互にその非を論じその利をむさぼり、ついに興復の道を失い、いよいよ人情を破り、事業が中廃するに至ったのであります。これが用財をお下しになるための災いであります。」
報徳記「小田原候、先生に桜町領復興を命ずる」より
つまり、村の復興をそっちのけで復興支援金の取り合いが役人と村民の間で起こってると話したのです。
大久保公もその話に納得しつつも、お金なしにどうやるつもりなのかを二宮尊徳に聞きます。
「実によい言葉じゃ。しかし財なくして廃亡を挙げ興す道とはどういうものか。」
報徳記「小田原候、先生に桜町領復興を命ずる」より
そして二宮尊徳はもっともな返しをします。
「荒地を開くに荒地の力をもってし、衰貧を救うに衰貧の力をもってするのであります。どうして財を用いる必要がありましょう。」
報徳記「小田原候、先生に桜町領復興を命ずる」より
わが神州は往古開闢以来幾億万の田が開けましたが、そのはじめ異国の金銀を借りて起したのではなく、必ず一鍬ずつからこのように開けたのであります。いま荒地を起そうとして金銀を求めるのは根本を知らぬからであります。いやしくも往古の大道をもって荒地を起すならば、何の困難もございません。
報徳記「小田原候、先生に桜町領復興を命ずる」より
そして、1つ目のお願いをします。
そもそも宇津家の所領は四千石とは申せ、実際納まるところの租税はわずか八百俵だけであります。これは全く四千石の虚名があるだけで、実は八百石の禄であります。この収納八百石をもって再復までの分限と定め、それ以上を求めず、艱難に素して艱難に行うべきであります。
報徳記「小田原候、先生に桜町領復興を命ずる」より
簡単に言うと、宇津家は4000石ではなく、実際の税収である800石で暮らすように言ったのです。
それさえできれば、復興支援金はなしで村の復興ができると二宮尊徳は伝えました。
「ただ、、、」と二宮尊徳はある苦言を呈します。
「かの土地がどのような難場でありましょうとも、ただいま申し上げた道によって復興することは困難ではありません。ところが、如何せん、その功を奏するに至って二千石の不足を生ずるのであります。荒地のままに捨てておくときは四千石の名前だけはありますが、いま千辛万苦を尽し、幾千万両の財を布き、功を成すに至っては、四千石ではなくして全くの二千石となるのであります。してみれば再復したい方がましであると申せます。」
報徳記「小田原候、先生に桜町領復興を命ずる」より
どんなに再興をしてうまくいったとしても、4000石ではなく、2000石にしかならないと伝えたのです。
帳簿上の4000石を維持したいなら、何もしない方がいいと話したのです。
武士は禄高を大事にしていたので、禄高が公式に半分になることは耐えられない屈辱でしょう。
そこを二宮尊徳は懸念していたのです。
当然、大久保公もなぜ禄高が半分になってしまう理由を問いただします。
「再興が成就して二千石減るとはどういうことわけか。」
報徳記「小田原候、先生に桜町領復興を命ずる」より
二宮尊徳は禄高が二千石減るわけを説明します。
「それは、ほかでもありません、瘠薄の土地だからであります。瘠せ地一反は必ず二反分の面積がなければ民は飢渇を免れません。しかるにかの地は検地の際縄の緩みがなく、一反は正味一反であります。それゆえ、領民衰亡の禍は皆ここから起こりました。一たんこれを復旧しましても、又数年ならずして亡村となるに決まっております。果してさようであれば、二反をもって一反と見なさなければなりません。すると宇津家は俸禄の半ばを減じて二千石となり、公私の費用が不足となりますから、必ず領民に命じてその不足を補わせるでありましょう。もしそうすれば、再度の衰廃は立ちどころに来るでありましょう。殿様には、無益の土地に心力を費やされるよりは、むしろ四千石の、名実ともに完全な土地を宇津家に分け与えられる方が、よろしいかと存じます。」
報徳記「小田原候、先生に桜町領復興を命ずる」より
二宮尊徳は困難な事業をするよりも、大久保公の判断でちゃんとした4000石の土地を宇津家に与えた方が得策だと提案したのです。
大久保公は二宮尊徳の話がこれほどしっかりしたものであることに驚いたようでした。
しかし、大久保公が宇津家に土地を分け与えしまえば、二宮尊徳に功績を与えることができません。
それに、桜町をそのままにすれば、2000石が丸々失ってしまうことももったいないと考えたのです。
そのため、
二宮尊徳の提案を受け入れたのです。
大久保公は二宮尊徳にこう話し、桜町領の再興を命じたのです。
そちの言葉、まことにもっともである。そちの計るところは周到至極じゃ。しかし、いま担税力適当の地を分け与えることは難事ではないが、廃衰の地を挙げ興さずして、いよいよ不毛の地に帰せしめることは、余の不本意とするところである。それゆえ、いまそちの言うたところによってかの地再興の業を委任する。内外共にそち一人の考えで処分せよ。そちが気遣うところの二千石減少のぶんについては、成功の後余が必ずこれを補って四千石としよう。気遣うでない。
報徳記「小田原候、先生に桜町領復興を命ずる」より
こうして、二宮尊徳は桜町領の再興という難事業に取り掛かることになるのでした。
二宮尊徳流交渉術の要諦
二宮尊徳の交渉術は相手の希望と実際の現実をすり合わせる手法です。
二宮尊徳は難事業ばかりやっていました。というのも、村の再興自体が難しい事業だからです。
だから二宮尊徳はしっかりと依頼主と話を固める必要がありました。
交渉前の事前調査
二宮尊徳は交渉の前に、事前調査を徹底しました。
その理由は3つあります。
- 相手の希望に応えられるか
- どんな制約条件があるか
- 最終的な成果はどうなるか
二宮尊徳は交渉で必要な情報をすべて得るために事前調査をしっかりとしていました。
なぜなら再興は難しい事業だからです。
沈みかけの船を復活させるのは難しいのです。
だから依頼主と現実的な落としどころをしっかりと固める必要がありました。
だから安請負せずに、誠実に懸念点と必要な条件を交渉の場に出していました。
交渉の流れ
二宮尊徳は交渉の場で誠実な態度で臨みました。それに加えて、相手の関心ごとにも気を配っていました。
しかし、相手の希望に100%添えるかは実際の現実がどうであるかで決まります。
だから二宮尊徳はこのような流れで交渉を進めていきました。
- 結論の提示
- 結論にくっつく条件の説明
- 条件がつく理由をたとえ話で伝える
- 事業成功に必要な条件を伝える
- 事業の懸念点の提示と代案の提示
二宮尊徳は丁寧に交渉を進めていました。
どういう決まりになるかで大きく状況が変わるからです。
交渉の流れを簡単に見ていきます。
結論の提示
交渉の始まりは相手の関心ごとから始まります。
二宮尊徳は立場的にも弱いですから、相手が興味を持つように話始める必要がありました。
そのため、どうしても結論から話が始める必要がありました。
関心ごとに耳を傾けるのが人情ですから。
桜町領の再興では、桜町領の再興が可能であることを伝えました。
結論にくっつく条件の説明
威勢よく結論を言うだけでは終わりません。
必ず伝えた結論に至るための条件を丁寧に説明しました。
桜町領の再興では、土地が良くないから今まで通りのやり方ではダメなことを伝えました。
条件がつく理由をたとえ話で伝える
そして、相手がしっかり理解できるようにたとえ話を利用しました。
ストーリー仕立てで話を伝えることは科学的にも効果があると分かっています。
二宮尊徳はこのたとえ話が得意でした。二宮翁夜話では多くのたとえ話が出てきます。
桜町領の再興では、良い土地を温泉、悪い土地をお風呂とたとえて、お風呂は人が手間をかけないとすぐに冷めてしまうと伝えたのです。
事業成功に必要な条件を伝える
二宮尊徳は事業を開始する前に調査をします。そうすることで、事業の成功に必要な条件を見極めました。
この必要な条件は報徳仕法をもとに決めていました。
桜町領の再興では、領主の節約、土地に合った租税の取り方などです。
公式の禄高ではなく、実際の禄高で生活するようにしたり、土地が悪いから免税したりです。
事業の懸念点の提示と代案の提示
そういった重要な情報を交渉の場に上げてから、二宮尊徳は懸念点を伝えました。
桜町領の再興では、公式な禄高が半分になることです。
二宮尊徳は桜町領を再興した後のことも考えていました。
二宮尊徳は村が再興した後も栄えるように配慮をしていたのです。
だから、代替案も話していました。
桜町領の再興では、再興するよりちゃんとした土地を分譲することです。
まとめ
二宮尊徳の交渉術は誠実さをもとにしています。
村の再興には依頼主と二宮尊徳の間にしっかりとした信頼関係が必要だからです。
なぜなら村の再興には何年もかかるからです。
だからこそ、再興に必要なことは確実に伝えますし、実行に移します。
二宮尊徳は依頼主との事業内容のすり合わせを第一としていたのです。
二宮尊徳自身は交渉術について教えていません。
しかし、二宮尊徳には卓越した交渉力がありました。
それは調査と経験そして誠実さが強力な武器になっていたのです。
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